人に認められたいという「承認」欲求は,知的・文化的生活を営む人間にとって,本能的なものだ.
承認欲求というものに興味が湧き,「認められたい」の正体‐承認不安の時代を読んでみた.
承認欲求とは,自己価値への欲望であり,「生きる意味」を求めることである.
本書の中で著者は「承認」を大きく分けて以下の3つに分けている.
(1)親和的承認
無条件で受け入れてくれる存在からの承認.
恋人,家族など.
(2)集団的承認
自らが属する集団からの承認.
サークル,学校の仲間,会社など.
(3)一般的承認
属する集団を超えた世間一般的からの承認.
いわゆる社会の道徳や一般常識など.
近代では,価値観が相対化しており,多くの人間に認められること(3)は困難だ.
「一般的他者の視点」からの承認(3)が満たされなくなった現代人が,
偏った価値観を持つある特定の集団内での「空疎な承認ゲーム」(2)にかまけたり,
自己中心的な自己承認に陥っていくというのだ.
僕は,特にこの自己中心的な自己承認をする人に興味があるので,まとめてみる.
周りの承認をいっさい必要とせず,ひたすら自分の価値観に沿って行動する人がおり,
そういう人の思考回路が気になるからだ.
ヘーゲルは,このような精神を「ストア主義」「スケプチシズム」「不幸の意識」の3つに分けている.
(Ⅰ)ストア主義
自分を抑制して独自性を維持しようとするあり方.
他人の意見にかかわらず,自分は自分だと言い聞かせてる.
自分だけの世界に閉じこもり,他者の評価がどうであろうと,
自分の存在価値を自分自身で認めて納得している.
(Ⅱ)スケプチシズム
あれこれと他人の批判ばかりして,自分だけは分かっている,
自分だけは特別だと思い込んでいるあり方.
それは懐疑主義でシニカルな態度になりやすい.
(Ⅲ)不幸の意識」
理想的な観念にしがみつくことで自分の価値を高めようとするあり方.
宗教・政治的イデオロギーを信奉し,われこそは正義だと叫び続ける人などが典型.
これらの精神のあり方は,自分の頭の中だけで「自分は正しい」とか,
「自分だけは真実を知っている」と思い込み,自己価値を確保する方法にほかならない.
このような自己中心的な思考のままでは,周囲の人から見放され,
誰からも社会的な承認を得ることは出来ない.
それは,他者の評価や思惑を意に介さないで自由にふるまった結果であり,
仕方のないことである.
こうした人たちは往々にして世間一般に認められる一般的価値観を持ち合わせおらず,
周囲の承認も必要としないため,変わり者と呼ばれることが多い.
現代において,変な思想や新興宗教に陶酔する類いの人もこのケースに当てはまる.
普通の人間は,このような自己中心的な自己承認を抜け出し,
他者の承認を介して自らの行為や知識・技能・作品の価値を問い直すようになる.
これは,行為や知識・技能・作品の価値そのもに普遍性を求める欲望であり,
ヘーゲルはこの普遍的な価値を「事そのもの」と呼んでいる.
こういうプロセスは,多くの人間が承認するような普遍性のある価値を意識して行動するようになるという精神の成長を示しているのだ.
このようなヘーゲルの考え方は説得力がある.
このようなプロセスは,僕は大学院教育で経験出来たと思う.
自分の意見を発表する→コメントをもらう→それを自分なりに考察→再度発表
というのは,まさに自分なりの研究の価値を,より普遍的にするためのプロセスだと思う.
こういう経験を通じて,自己中心的な自己承認をある程度抜け出せたかなと思っている.
大人になってもひたすら自分の価値観に沿って行動する人がいるというのは,
精神的に大人になりきれてないのではないだろうか?
この辺の心理は,認められないコンプレックスとも関連してくると思うが,
長文になりすぎたので,やめておく(笑)
とにかく言いたかったことは,
自己中野郎はもっと広い視野の目も気にしようぜ!ってことで(笑)
でわでわ
0 件のコメント:
コメントを投稿