河合隼雄さん著の「コンプレックスと人間」.
コンプレックスの塊のような人間と関わり,苦い思いをした経験から,
僕は人間のコンプレックスに非常に興味を持っている.
そこで,この本を手にとってみた.
河合隼雄さんは「心のノート」という道徳の副読本など,政治的な活動には批判があるが,
分析心理学(ユング心理学)を日本に紹介した学者として知られて以来,
日本におけるユング心理学の第一人者である.
では,コンプレックスとはなにか?
ユングの定義によれば,コンプレックスとは,
何らかの感情によって統合されている,心的内容の集まりである.
ある事柄と本来無関係な感情とが結合された状態であり,これを「心的複合体」とも訳す.
日本では今なお,「コンプレックス」と言えば,暗黙に「劣等コンプレックス」の事を指す傾向がある.
更に精神分析の用語から離れて,
「コンプレックス」を「劣等感」の同義語とするような誤用も生まれ,
今に至っている.
なお,劣等感とは劣等なものを合理的に認めるものであるため,
劣等コンプレックスを克服したものであるとも言える.
自我の主体性をおびやかすものがコンプレックスであり,
それをどう見つめていくかによって成長の仕方も変わってくる.
コンプレックスというものについてはその人間によるところが大きいので,
その解消には自分自身の力が必要になってくる.
劣等感コンプレックスの重要性を強調したのはアドラーである.
彼はフロイトと共同研究をしていたが,やがてフロイトの性欲説に対して,
人間にとって根元的な欲望は「権力欲」であると主張した.
アドラーによると,人間は誰でも劣等感をもっているものである.
その劣等感を補償しようとして,「権力への意志」が働くと考えた.
それが成功すると,どもりを克服して雄弁家となったデモステネスのようになり,
反対にうまくいかないと,見せかけの強がりを言ったり,
あるいは失敗を恐れたり,あまり何もしなくなる.
たとえば,ソフトボールが下手な人がいるとする.
この人が練習を重ねてソフトボールを上手になることで劣等感を克服するか,
あるいは自分はソフトボールを下手でできないと認めることで,
劣等感という こだわりから克服されれば,心の悩みはない.
ところが,「劣等感コンプレックス」にとらわれた人は,
下手なくせに無理にピッチャーに なりたがったり,
失敗したことにいつまでもぶつぶつ言ったりするものである.
学歴コンプレックスだったら,東大などの高学歴者に批判的だったり,
外見コンプレックスなら,アイドルやモデルになりたがるのかもしれない.
また,劣等感コンプレックスの裏返しが優越感コンプレックスだ.
他人のために尽くそうとする善行の陰に,劣等感コンプレックスがあるのではないか.
これは,著者の河合先生の説であるが,妙に納得してしまった.
カウンセラーになって,悩める人のために尽くしたいと思う人は,
「救われるべきは他人なのか?それとも自分なのか?」と自問せよ.
と,河合先生は言う.確かに.
僕は劣等感は,「劣等コンプレックス」に陥らなければ,成長の糧になると思う.
克服したいという動機づけになるからだ.
劣等コンプレックスというのは克服するのは難しいかもしれないが,
ぜひ克服して幸せになりたいですね~(僕はないですがw)
でわでわ
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