2011年8月1日月曜日

哲学って面白い

宣伝するわけじゃないが,エコノミスト(8/2特大号)に掲載されてる,

「不安の時代の哲学」は面白かった.

キルケゴール,ハイデガー,カミュ,サルトル,ニーチェの思想が簡単に解説されてて,

取っ掛りとしては,なかなかオススメです.

もちろん,ホントのさわりの部分しか触れていないので,

詳しく知りたいなら,原著を読むしかないです.

話は変わって,以前誰かに僕は「弱い人の気持ちが分からない」と言われたことがある.

そもそも弱いってなんだって感じであるが,この言葉のおかげで,

「強者・弱者」についていろいろ考えるようになった.

そんな中,今回の特大号で出会った高校の倫理以来久しぶりに聞いた「ルサンチマン」

ルサンチマンとは,主に強者に対しての,弱い者の憤りや怨恨・憎悪・非難の感情らしい.

キルケゴールにより確立された哲学上の概念で,ニーチェの『道徳の系譜』でも利用されている.

ルサンチマンを持つ人は非常に受け身で無力でフラストレーションを溜めた状態にある.

つまり,実際の行動をとるには社会的な制約があり,自身の無力を痛感している人である。

そういう状態にあっては誰であっても,ルサンチマンを持つ状態に陥る.

社会的な弱者はルサンチマンから逃れられない.

フラストレーションをむしろ肯定し,何もできないことを正当化するようになる.

社会的な価値感を否定したり,反転した解釈を行うようになる.

こういった自分の陥っている状態を正当化しようとする願望こそ,奴隷精神の最大の特徴である.

こうしたルサンチマンの表れの例として,敵を想定し,その対比として自己の正当性を主張する.

そのルサンチマンの敵が拡大すると,対象が社会全体になるらしい.

ニーチェはルサンチマンを超越した人間が「強者」であるとしている.

さらに,絶対的原理を廃し,次々と生まれ出る真理の中で,それに戯れ遊ぶ人間を「超人」とした.

ニーチェは,永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する,

「超人」であるべきと説いている.

こう考えると,僕はルサンチマンを持っていないから,強者になるのか?

以前,僕は弱い人の気持ちが分からないと言った人は,

ルサンチマンの塊で,その人からすると僕は敵になってしまうのだろうか?

う~ん…それって僕が悪いというより,自分の問題なんじゃないか?

そう言うから弱い人の気持ちが分からないとか言われるのか?

疑問ばかりが浮かぶが,考えても理解できない.

なかなかこのルサンチマンの有無の壁を超えるってのは難しいかもしれない.

結論,実際に自分がルサンチマンを持たないと分からないな(苦笑)

でわでわ

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